
こんにちは、てつやまです。
このたび、EDAさんの異世界料理小説
『異世界料理道⑦』を読みました。
《作品情報》
・書名 異世界料理⑦
・著者 EDA
・出版社 株式会社ホビージャパン
・頁数 347
1.この本のここが凄い!
「異世界×料理」というのは、珍しいものではありません。
しかし、本作品が他の料理ファンタジー小説と違うのは、「チート」が全くないこと!
一つ一つ、異世界の食材と、見知った現代の食材を照らし合わせ、試行錯誤で料理していく。
そうして、料理を通じて、人と人の縁を紡ぐところが、ハートフル!
なぜこの本を読んだのか
他作品よりも、リアルに描かれた異世界料理小説だったから読み進めました。
没入しながら読むことができ、主人公とともに成長できる作品。
2.かんたんあらすじ
異世界に迷い込んだ少年が、料理の腕で、森辺の民と呼ばれる狩人の部族たちとの縁を結んでいく話。
7巻は、「森辺と町の確執?」スン家の闇決着編。
心に響いたフレーズ
誇りを持って生きているゆえに、他者の目などは恐れない。どのような評価を下されてもかまわない。自分たちは、自分たちの信ずる道を進めばよい、というーそれは森辺の民の最大と言っていいぐらいの特性であり、強烈な美点にも強烈な欠点にもなりうるだろう。
アスタのモノローグ。森辺の民の気質を言い表した場面。
現代人は、人の目ばかり気にしてしまい、「嫌われる勇気」が求められがちです。
一方森辺の民、とりわけ狩人は、自分を軸を持ち、他者の目を必要以上に考えることをしません、。
どちらがいい悪いではなく、重要なのはバランス感覚。
必要なのは、人の目を「まったく考えない」よりは、考え、
「考えすぎる」よりは、自分に集中するという、バランスの取れた思考。
異世界からきたアスタが介入することで、森辺の民という孤高の部族も、
バランス感覚を身につけるに至ることができると期待しています。
「誇りを失った恥知らずめ。……己の子を飢えで失う苦しみなど、スン家でぬくぬくと生きてきた貴様などにはわかるものか」
森辺の民、狩人である、スドラの家の家長のセリフ。この時点では名前は明かされていない。
スドラの家では、幼子を飢えで2人も失っていました。
森の食用に足る実などを食べれば、生きながらえることもできるのに、
部族の「森辺での採取は厳禁」という掟を実直に守ることで救えなかった命…
テイ=スンの、森辺の民の苦難を訴える演説に対して、
スドラの家長ほど、その演説に、「待った!」をかけられる人物はいないと感じました。
著者のEDA氏も、このスドラの家長はお気に入りとのことなので、
彼の活躍を今後も期待したいです。
森辺の民が、そのような暮らしをしていたとは知らなかった。自分たちは、まだまだ感謝が足りていなかった。アスタたちと出会う前に、森辺の民を蔑んでいた自分が恥ずかしい。
野菜売りのドーラの親父さんのセリフ。
テイ=スンの演説により、森辺の民が、どれだけ劣悪な生活を強いられていたかを知った、ドーラの親父さん。
そんな彼が、涙ながらに感情を爆発させている場面。
しかし、彼がこんなに心を揺さぶられたのも、この演説前から、アスタを通じて知ることになった森辺の民たちの交流があったからこそ。
それまで、町を《ギバ》という害獣から守っていながら、畏れ蔑まれていた森辺の民という存在。
しかし、アスタたちと関わることで、「本当に忌避すべき部族なのか?」という疑念が生まれる。
そして、そんな部族の生活が、ここまで過酷なものだったと知って、動揺する親父さん。
自分がどれだけちっぽけで的外れだったかを、痛感する流れは、構成としてとても美しいと感じました。
3.まとめ
読んだことで得られたポイント
第7巻は、スン家の闇が暴かれ、そして町の人と森辺の民との関係性が変わる、ターニングポイントである巻でした。
森辺の民、特に狩人は、「町の人間にどう思われようと構わない」という気概を持っていました。
そして、町の人間も「恐ろしい力を持つ野蛮な部族」と忌避していました。こ
れは、分らないものを畏れる人間の性であったのかと思います。
そしてこの、「わからないもの」という原因の一因が、森辺の狩人たちの「どう思われようと構わない(だから、自分たちのことを説明しない)」という、説明責任の放棄でした。
現代人のアスタが間に入ることで、徐々にこの溝は埋まっていくと感じられる巻でした。
やはり、気高い誇りも大事。そして相手への理解、伝える努力も、大事。
この本は
・誇り高き部族が好きな人
・多文化の人間模様のありさまを読みたい人
・読み応えのある小説が読みたい人
におすすめな作品です!
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