こんにちは、てつやまです。
このたび、ヨシタケシンスケさんの児童書『メメンとモリ』を読みました。
《作品情報》
・書名 メメンとモリ
・著者 ヨシタケシンスケ
・出版社 KADOKAWA
・頁数 136
1.この本のここが凄い!
「生きるとは?」という重めなテーマに対して
姉メメンと弟モリの対話形式で話しが進みます。
「なぜ生きるのか?」の問いへの答えは、十人十色でいいんだ!!
読後、スッキリとした気持ちと、先を明るくしてくれる本です!
なぜこの本を読んだのか?
ヨシタケシンスケさんの絵本はとても有名で、元々興味があったからです!
そして、書店で『メメンとモリ』の紹介文を見て、是非読みたくなりました。
2.かんたんあらすじ
ヨシタケシンスケさん初の長編絵本。
冷静な姉メメンと、情熱家の弟モリ。
「生きる意味」や「生きる目的」を、考えさせられる物語。
心に響いたフレーズ
だれかのために自分のいのちをつかってもいいし
(第1話「メメンとモリとちいさいおさら」より)
↓
「だれかのために自分のいのちをつかってもいい」というパワーワード。
自分のことを後回しに、誰かのために動くことは、とても尊いこと。
しかし危険で、怖い考え方でもあります。
自分軸を持つことが重要という現代の風潮。
相手のことを気にしすぎる性質を、私自身、短所だと捉えていました。
それが、「だれかのために自分のいのちをつかってもいい」という言葉と出会い、
そんな自分も肯定してくれたように感じ、嬉しくなりました。
短所だ長所だ、という軸ではなく、それぞれがただあるがまま。
いい悪いではなく、たんなる自分の生き方として、
性にあっているかどうか、それだけの問題なのです。
「自分では選べないことと、自分で選べることがある」ってことよね。
それを、みわけられるようになりたいわよね。
(第1話「メメンとモリとちいさいおさら」より)
↓
この台詞をみた瞬間、【奴隷の哲学者・エピクテトス】という人物を思い出しました。
彼は、奴隷時代に、【自分ではどうしようもないこと】に見舞われた経験から、
自分でコントロールできること
自分でコントロールできないこと
それをわける考え方を示しました。
自分ではどうしようもないことには、悩まないと決める!
姉メメンのいうとおり、コントロールの成否を、見分けられるような人になりたい。
「なんのために生きているのか」のこたえは、まいにちちがっててもいいわよね。
(第3話「メメンとモリとつまんないえいが」より)
↓
「なんのために生きているのか」、悩んだことはありませんか。
その問いに対する考え方として「まいにち違っていい」という意見。
生きる目的に悩む人の、背中を押してくれる、力強い言葉だと感じます。
まいにち違っていいとは、
昨日の自分の答えと、今日の自分の答えは違っていい、ということ。
そして、今日と明日の答えも違ってもいい。
それは、自分以外の人の答えも、自分と違っていい、ということ。
多様性、自他共々、尊重する世界にいきつく、とてもハッピーな考え方だと感じました。
3.まとめ
読んだことで得られたポイント
自分の生きる意味を再認識させてくれる
姉メメンと弟モリの対話を読むと、
「自分はどう考えるだろうか?」
「こう考えることもできるのではないか?」
というような、考えるきっかけを与えてくれます。
生きる目的に上下無し!人と違っても、別にいい
生きる目的を考える上で、毎日その意味が変わってもいい。
諸行無常。人生や生き方は、常に変わりゆくもの。
だからこそ、変わる前も、変わった後も、共に間違いではないのです!
そして、他人と違っても、別に間違いではない。
周りと比べて落ち込みがちな、私の背中を、後押しをしてくれました!
哲学を噛み砕いて理解する。それもまた良し!
哲学は、とても難しく、とっつきにくいものです。
しかし、「なぜ生きるのか?」は、生きている人類全てが、考えてしまう問い。
この問いに答えるためには、何か高度な資格がいるわけではありません。
そして、誰にでも、答える資格があります。
この本は、そんな「哲学をする」ことへの応援本です!
この本は
・生きるとは?を考えたことがある人
・絵本が好きな人
・クスッと笑いたい人
におすすめな作品です。
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