
こんにちは、てつやまです!
このたび、2026年度大河ドラマ『豊臣兄弟!第40話【あさひの輿入れ】』を視聴しました!

スノ子で~す!
てつやまオジさん、今回もよろしく~
今回の記事で得られるポイントはこちらです。
・副田吉成の、「豊臣兄弟に託す言葉」が、なぜこんなに胸に残るのか
・和睦の使者が織田信雄だった理由と、信雄の立場
・あさひは家康に嫁いで幸せだったのか、史料から言える範囲
こんな方におすすめです。
・政治に翻弄される夫婦の辛い回を観て、気持ちの整理がつかない方
・歴史に詳しくないけれど、背景も知って楽しみたい方
・忙しい毎日の中で、大河ドラマを追っている方
1.かんたんあらすじ

てつやまオジさん、第40話観たよ!
今回も盛りだくさんな話やったね~
あらすじ、3行でお願いできる?

たしかに、情報量の多い回でした。3行でまとめてみますね。
徳川の重鎮・石川数正が豊臣へ出奔したのに、家康は戦支度を止めない。
戦を避けて和睦したいなら、豊臣の身内を、自分(家康)の妻に差し出せと要求。
苦渋の末に豊臣兄弟が出した答えが、「妹のあさひ」を離縁させて嫁がせることだった…

うわあ…最後のが、きついねぇ…
その時あさひさん、結婚しとったんよね?

そうなんです。
なので今回は、一組の夫婦が引き裂かれる物語なんですよ。

それでは、私が一番心を動かされた場面からお話ししますね。
2.心に響いた名場面

てつやまオジさんが一番ぐっときたの、どの場面やったん?

豊臣兄弟の妹、あさひの夫、副田吉成のこのセリフ!
「藤吉郎殿、小一郎殿。あさひを、まこと 豊臣の天下を支える一人としてやってください」

あさひ夫婦は、政治上の原因で、関白秀吉から「離縁」を命じられます。

それに納得できず、逃げようとして、捕まってしまいます。


その後、夫の副田だけが、秀吉・秀長の前に連れてこられる。
その場面での、このセリフなんです。

逃げようとしたんや…

そして捕まり、兄弟と対面。
そんな中でのセリフなんやね?

はい。ただ、このセリフが印象深くなるための前段階。

その直前の、捕まる寸前の「とある出来事」がとても重要なんです!

とある 出来事?
なんやろ?

それは ネタバレになるので 割愛しますね。

ただ言えることは、あの出来事があったからこそ、副田の言葉が恨み言ではなく託す言葉に聞こえる。
夫婦の深い絆を感じ、とても印象深いセリフになるんですよねぇ。

「無理やり 妻と別れさせようとする 兄弟」を目の前にしたら、ふつう恨み言でも言いそうやけどなぁ。


引き裂かれる側ですから、怒って当然です。

それなのに彼は、自分の痛みを飲み込んで、妻の居場所と豊臣の未来を口にした。

長年、身内として兄弟を支えてきた古なじみの「彼の善性」が、あの一言に凝縮されていたと感じました。

へえ~…
脚本スタッフは、なんでこういう描き方にしたんやろ?

あくまで推測ですが、政略結婚を「仕方ない決断」で終わらせたくなかったんだと思います。

豊臣の天下は、誰かの犠牲の上に立っている。
その代償を背負う人を丁寧に描くことで、視聴者にもそれを刻みたかった。

歴史の片隅に埋もれる一人一人が、その意思と決断で未来を紡いでいく…

天下一統の陰には、様々な人の思いが積み重なっているんやね

観終わったあと、昔なじみの忠臣が、「また一人消えていく寂しさ」という余韻が残りました。
3.「この話のここが凄い!」3選
①秀吉の怒りか、5万石の加増か。副田吉成との離縁理由を比較

てつやまオジさん、副田吉成(そえだ よしなり)って、そもそも実在した人なん?


実在は文書で確認できます!
天正8年(1580年)ごろの羽柴秀吉の覚書、一柳家文書に、「副田甚兵衛」の名が見受けられます。

ちなみに甚兵衛は通称で、吉成は後世の史料に出てくる実名です。
尾張の出身で、秀長の「但馬侵攻」に従い、多伊城を任されたと伝わります。

ちゃんと実在していた人なんやね。
で、なんで離縁させられたん?
理由はなんなん?

そこなんですよ!
実はここが一番ややこしいところなのです!

離縁の時期も理由も、定まっていない、諸説ありなんです。

『武家事紀』※1では、天正10年ごろに多伊城を失って秀吉の怒りを買ったことが原因だと伝えます。

一方『塩尻』※2では、天正13年に5万石の加増と引き換えに離縁を迫られたものの、加増を断って出家し、尾張の烏森に隠棲したと伝えます。
※1『武家事紀』とは、江戸時代前期の学者・山鹿素行(やまがそこう)が書いた、武士の歴史と作法・故実を集めた全58巻の百科事典。1673年(延宝元年)に成立。
※2『塩尻』とは、江戸時代の尾張藩士・天野信景(あまのさだかげ)が1697年ごろから1733年までの間に書き足した、歴史・言語・動植物など何でも入りの随筆。没後1782年に100巻本が編まれた。

どっちも面白そうな物語になりそうやね。

ほかに、そもそもあさひの夫は「副田吉成」ではなかったという説もあり…

ええ!?どういうこと!?

「あさひの夫は、【佐治日向守】という人物だったのではないか」という説ですね。

この説では、「(離縁させられた)自分が生きていては国が治まらない(=豊富と徳川の関係性が悪化する)と言って自害した」という話になっています。

ただ、この名前は他の史料に見当たらず、実在性には疑義が強い点注意がいります。
歴史学者の福田千鶴さんは、「江と佐治一成の離縁の話」が混同されたのではと指摘しています。
なので副田説が有力、佐治説は異説との理解が適切でしょう

ありがとう、整理できた!
それじゃあ、「副田吉成」さんは、離縁されたあとは、どうなったん?

出家して穏斎(隠斎とも)と号し、烏森に隠棲したと伝えられています。

「隠斎屋敷跡」との伝承も残っています。
ただ、このあたりは伝承を含むので、断定は避けたいところです。

お屋敷があったんやね

確実な同時代史料による裏付けないですが、元和元年(1615年)の73歳前後で、その生涯を閉じました

出家後の生活は、安らかなものであってほしいね…
②織田信雄が使者に選ばれた4つの理由

次は、唐突に使者として出てきた「織田信雄」さんについて教えて!

なんで和睦の使者してるん?
あの人って、秀吉側? 家康側? それとも中立?


彼の立ち位置の答えは、時期によって変わるです。
小牧・長久手の戦いでは、信雄が当事者で、家康が加勢する形でした。

ところが天正12年11月、信雄は家康に先んじて秀吉と単独で講和します。

そうやったね

そして天正14年正月には、秀吉の意を受けて家康を訪ね、臣従を勧める取次役になっています。
家康側から秀吉側へ。中立ではないんですよ。

家康さんに無断で秀吉さんと和睦を結んだんよね?
それやのに、なんで信雄さんが、「徳川家康への交渉の使者」になるん!?

彼が使者として選ばれた理由、それは以下の4つが考えられます。
★織田信雄が使者として選ばれた理由
①家康と旧知の間柄という 関係性。
②秀吉と父子の約束を結び、家康の赦免も取りつけた実績。※3
③天正地震では、彼自身大きな被害を受け、交渉を急ぐ動機が強かった。
④信長の子という立場なら、家康も面子を保てる。
※3 ②の理由「父子の約束」とは?
小牧・長久手の戦い後、単独講和をする信雄。
それに際し、信雄の娘が秀吉の養女となり、両家の間に擬制的な親族関係が結ばれました。
後世の解説ではこれを「父子の約束」と呼びますが、その父子関係を秀吉・信雄のどちらが父とするかは資料により説明が分かれます。
有名なのは、会見で秀吉が信雄に平伏し「主君」と仰いだとする逸話であり、これに従えば形式的には秀吉が信雄に対して臣下・子の立場をとったことになるでしょう。
ただし、この逸話や「父子の約束」という表現自体は後世の軍記・解説に依拠する部分が大きく、当時の一次史料によって父子関係の方向が確定できるわけではない点注意が必要です。

へえ~!…あれ?

でも家康さん、人質(次男・於義丸)まで送っとったよね?
家康さんとの和睦、もう済んどらんかったの?

そうなんですよ!
私も、てっきり済んでいると思い込んでいました。盲点!

実際は、信雄を降伏させて家康の戦う大義名分を消しただけで、
秀吉と家康の和睦は成立していなかったんです。
ドラマの40話が描くのは、まさにその、信雄との単独講和の後半戦ですね。

なるほどなあ。
③戦を避ける橋になった、あさひの結婚と副田吉成の涙

てつやまオジさん。
あさひさんは、家康さんに嫁いで幸せやったんかなあ…
ウチ、それが気になって。


結論から言うと、あさひの本心をしたためた史料はありません。

突然の離縁と、40代半ばでの遠い土地への輿入れですから、負担は大きかったはず。

ただ、駿河御前と呼ばれ、天下人の妹として格の高い扱いは受けていた模様。
惨めな暮らしだったわけではなさそうです。


その後、母の大政所の見舞いで上洛した際に病を得て、40代後半で亡くなったとされます。

家康さん側としては、あさひさんのこと、本当の奥さんとして大切にしたんやろか?

当時の家康は、築山殿という正室が亡くなっており※4、正室が不在でした。

あさひは、徳川家の正式な正室になったわけです。
後世の史料には、秀吉の妹だからと疑わず、礼を尽くして仕えるよう家臣に命じた※5とあります。

亡くなったあとも、手厚く供養したと伝わります。恋愛結婚ではなかったけれど、敬意を持って重んじた、というのが実像に近いでしょう。
※4 築山殿が亡くなった経緯
天正7年(1579)、正室築山殿と嫡男信康が武田氏内通を疑われ、信長の意思を受けた家康が処断を決断。8月29日築山殿は殺害され、9月15日信康は二俣城で切腹しました(諸説あり)。
※5 「あさひに礼を尽くせ」の根拠史料
『徳川実紀』(正式には『東照宮御実紀』)…江戸時代後期(19世紀初頭、11代将軍・徳川家斉の命により幕府が編纂)。伝承や逸話である二次史料。
朝日姫(駿河御前)が輿入れする際、徳川の家臣たちが
「これは秀吉の策略(スパイ)に違いない」と警戒。
それに対して家康は、「天下の和睦のために、秀吉が実の妹をわざわざ離縁させてまで送ってきたのだ」「その誠意に応え、彼女を疑うことなく、丁重に(主君の正室としての礼をもって)迎えるべきだ」という態度を示し、豪華な饗応(=おもてなし)の準備を命じたとされています。

ドラマの夫婦仲は、なんかほっこりしてたよね。
里芋のとことか。

あの場面、よかったですよねぇ。
「ただの里芋が一番じゃ」!

ただ、夫婦仲が実際どうだったかは、史料からはわかりません。
だから、あの温かい描写は脚本の解釈でしょう。

うん

そして私は、あさひが前夫に託した言葉に、脚本の意図を感じました。

自分にしかできないことを存分にやってみる。
政治の道具という見方だけでなく、自分の役割として引き受けた人として描いているんです。

そこ、ウチも泣きそうになった…

そんな夫婦の決断の末の、家康さんとの結婚。
結局、豊臣と徳川の関係、変わることはできたん?

史実では、天正14年5月にあさひの輿入れ。
同年10月には大政所が岡崎へ送られ、家康はようやく、大坂城で秀吉に謁見して臣従を表明します。

義理の兄弟になることで、秀吉は力ずくでなく、家康の面子を立てながら従わせる道を作ったわけです。

あさひの結婚は、戦を避ける橋渡しでした。
その橋のたもとには、副田吉成の涙があったことを、忘れたくないですね。
4.今後の展開予想(考察)

次回のタイトルは「家康の野望」やね。
これやっぱり、「信長の野望」のもじり?


私もそう感じました。
ゲームの名作を思わせるタイトル!

徳川家康が、満を持して、豊臣兄弟たちのもとに躍り出て対決する予感がひしひしします。

しかもこの家康、「もう誰にも頭を下げぬ」と決意している点にも要注目です。

そうやった!
なのに、「あさひの輿入れ」までされて、
頭を下げる=豊臣政権に従うことを強要されている現状…家康さんは、苦しいね

そこが次回の見どころです。

いよいよ上洛し、豊臣兄弟との直接対面が近づく。
そんな中、家康は、どういう心情を抱くか?
変わるのか?それとも意思を曲げないのか?

オジさんは、どう予想しているの?

私は、「公式の場で、関白秀吉に臣従する姿を見せる」ための、豊臣兄弟と家康の静かな攻防が描かれる。
そして、その攻防の中で、家康の心が変わっていく描写が描かれるのではないか?と予想しています!

形だけの臣従ではなく、家康も納得の上で頭を下げるってこと?


ここで効いてくるのが、第40話の、地震によって意気消沈する兄・秀吉を元気づけた、秀長の言葉だと思います。
「わしらはまだ生きておる、ともに力を合わせろと天に命じられたのじゃ」

つまり、この兄弟の絆、助け合いの精神が、家康の心を動かす。
最後は、家康の理性を抑える何か感情的なものを、豊臣兄弟が揺り動かすのではないか。

私はそう考えています。

「調略すべき一番は、相手の心」…

心をないがしろにしがちな戦国時代において、兄弟の絆という心の強さで挑んできた二人だからこそ、家康さんに響くものがあるのかもしれんね!


副田も、あさひも、家康も。
みんな心を持った人間として描かれてきました。次
回も、その心の揺れを味わいながら観たいですね。

それでは、また大河ドラマ『豊臣兄弟!』の感想ブログでお会いしましょう!

またね~
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